御由緒

天正19年(1591)豊臣秀吉の日本統一に最後の抵抗をした葛西大崎両氏は市民連合して大一揆を起こし佐沼城に篭城しました。秀吉の命で伊達政宗はこれを包囲したものの沼川深田である佐沼水域の難攻不落に万策尽き、津島神社(北方鎮座、現在は津島本宮社と改称)に祈願したところ、忽然と白鷺の群れが飛来し、沼の浅瀬に降り立ちました。深沼ではないことを知った政宗は篭城軍を一気に攻め、城を落とすことに到りました。後の慶長19年(1614)政宗は領主津田民部景康に城の鎮護を命じ、津島神社を城下である現在地に遷座し、佐沼城において今後謀反なきものとするため社殿は佐沼城に向かって北向きに建立し、佐沼郷の総鎮守祇園牛頭天王と称し祭りました。人々から「ごてんのうさん」と崇め祭られ、今もこの呼び名で親しみをよせられ崇敬されています。

歴史年表

創祀四百年を迎える津島神社、その歴史の一端を記します。→画像をクリックすると詳細が表示されます 。

御祭神:神武速素盞鳴尊(たけはやすさのおのみこと)

ご神徳:厄除け、縁結び、疫病除け、海上安全

須佐之男命は天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟神で、伊邪那岐神(いざまぎのみこと)が鼻を洗った時に生まれ、海を統治することを命ぜられたが、父の命には従わず泣哭するばかりで政をしようとはしなかった。そのため伊邪那岐神は怒り、根の国に追放を命じた。命は根の国に下るに際し、姉の天照大神に別れを告げるため高天原(たかまがはら)に詣るが、天照大神は、性が激しい命がどうして高天原に上ってくるのか警戒するので、命は決して邪険な気持ちはないと天照大神に誓約し、伊邪那岐神許しを得て高天原にしばらく住む事となったが、生来の暴政が出て乱暴な行為を繰り返した為、天照大神は天岩戸(あめのいわと)に隠れた。高天原の神々は天安河(あまのやすかわ)で会議を開き、命に罪を祓わせたのち追放の刑に処した。命は旅を続けて出雲国に至り、そこで八岐大蛇(をやまたのおろち)を屠り、その尾から出た天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)を天照大神に献上し、八岐大蛇を屠った縁で稲田姫(いなだひめ)を娶り出雲に住むこととなった。

六月まつりと厄除饅頭のお話

「六月まつり」は、旧暦6月14日(新暦7月下旬)を祭日としてきた津島神社の大祭の呼び方です。現在は7月に例祭を執り行っていますが、昭和中期までこの呼び方で親しまれてきたのが津島神社の大祭です。県北一の大祭とも言われ、祭典が執り行われる3日間は、出店や興業小屋が並び、道は人並みで溢れ、南部気仙三陸からは漁民大挙して参篭し、礼参りには玉石が奉納されてきました。佐沼名物みやげは祇園坊コロ柿型の饅頭で一年一食の疫病除けとして買い帰り、各家の軒下に吊るして悪魔祓いとされてきました。

建築様式

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「本殿・拝殿」流造/「幣殿」入母屋造/「大工棟梁」大畑幸吉(登米市迫町佐沼)/「彫刻」上山寅正(仙台市肴町)